ながとのこえ #02

(よう)(き)(ひ)(ろ)(まん)の宿 玉仙閣

専務取締役

()(とう)(しゅう)(いち) さん

(よう)(き)(ひ)をモチーフにした宿を継ぐためにUターン

(なが)()()(もと)温泉の開湯は1427年と言いますから室町時代、地元の曹洞宗寺院・(たい)(ねい)()のご住職が(すみ)(よし)(だい)(みょう)(じん)の神託によって源泉を発見したと言われ、それは今でも(たい)(ねい)()さんが所有しています。江戸時代には毛利家お抱えの湯治場で、大正時代に(なが)()()(もと)駅ができると、街の中心部にある公衆浴場、(おん)(とう)(れい)(とう)の周りに温泉宿が建ち並ぶようになりました。浴客が増えるにつれ、それらの宿が周辺部により大きな建物を設けるようになって、今の温泉街ができてきました。

(よう)()()()(まん)宿(やど) (ぎょく)(せん)(かく)の創業は1991年ですから、温泉街の中では後発ですね。中心部の温泉宿に婿養子として来た父が、長門市()()に伝わる(よう)()()漂着伝説を知り、(よう)()()をモチーフにした宿をつくりたいと周辺部の廃業した旅館を買収・リノベーションしたのです。 創業時に高校生だった私は、福岡の大学を出てしばらく営業職で働いた後、滋賀県の旅館で2年間修業し、実家を継ぐために帰ってきました。(ぎょく)(せん)(かく)に勤めて20年になりますね。

街のシンボル再興と街歩きの拠点づくり
-温泉街再生の取組-

Uターンしてきてから20年、客足の減少で街が寂れていく時代も経験しました。それでも今は、温泉街再生の取組が始まり、良い時代に向かっていると思っています。

私は旅館(おお)(たに)(そう)の社長さん、(やき)とりや ちくぜんのオーナーさん、そしてデザイナーさんと共に(なが)()()(もと)まち株式会社の取締役を務めています。これは街づくりのための会社で、先に申し上げた公衆浴場・(おん)(とう)の再興を手がけ、2020年3月に流れ出す源泉を眺められる新たな浴場としてリニューアルオープンさせました。(おん)(とう)は街の中心部にあり、歴史ある神授の湯のシンボルとも言える施設です。 リニューアル工事が始まった2017年には、(おお)(たに)(そう)の社長さんとデザイナーさん、江戸初期から続く地域の伝統産業・(はぎ)(やき)()(かわ)(がま)の作家さん2名と地元生花店のオーナーさんと共に有限会社を設立、温泉街の中にカフェギャラリー cafe(カフェ) & pottery(ポッタリー)(おと)をオープンさせました。(はぎ)(やき)()(かわ)(がま)を多くの人に知ってもらう入口であると同時に、温泉街を訪れた方々の街歩きの拠点として考えられたものです。

共生が温泉街再生を支え、
再生の取組が共生の文化を強める

温泉街再生の取組を支えているのは、古くから根付いた共生の文化だと思っています。例えば、毎夏行われる納涼盆踊り大会は温泉街が一体となって続けてきたもので、コロナ禍にも負けず2025年には60回目を迎えます。秋に(たい)(ねい)()(すみ)(よし)(じん)(じゃ)などに奉納される()(もと)(なん)(じょう)(おど)りは、住民一体となった保存会で伝承されています。私は(なが)()()(もと)で生まれ育って、それぞれの住民や事業者、様々な団体・組織が一丸となって関わり、温泉街の中で一緒に何かをつくり上げ、継承していくというこうした文化を体験してきましたから「温泉街を残していかないと」と強く感じています。また一方で、温泉街再生の取組が共生の文化を強めているという手ごたえも感じています。異業種間の連携で実現したcafe(カフェ) & pottery(ポッタリー) (おと)は、その1つの現れではないでしょうか。

(すみ)(よし)(だい)(みょう)(じん)の神託で(たい)(ねい)()のご住職が温泉を見つけたという由来からも分かりますが、(なが)()()(もと)は古くから神仏習合の文化が脈々と受け継がれています。その土壌があるからこそ、この温泉街には「外から来る人も自然に受け入れられる」つまり共生できるという魅力があります。今後とも温泉街再生の取組、街づくりを通して、この地域の魅力をより高めていきたいと考えています。